

「やった」だけでは前進しない
行政のように、市民から得た税金を予算とする機関においては、やったことがどのように進捗しているかをしっかりと把握しなければ結果が出ません。「やった」というそれだけの事実は意味を為さないのではないでしょうか。
みなさんがたいへんな思いをして納めた税金。その税金を使って行われた事業の決算報告ないし、事業報告が次のような感じだったら、みなさんどう感じますか?
「今年は1,000万円の予算内で、○○と△△と□□と××をやりました!」
「………………。 ………で!!????」 ってなりませんか?
みなさんが懸命に働いて得た稼ぎの中から納めている税金です。市民の生活の役に立てくれるようにと納めた税金です。
検証無しで、「何をやったか」だけを満足気に語って終わるなど、まるで「結果は別にどうだっていい。」と言っているようなものではありませんか!
検証が進展度合いを左右する
私が函館東高校(現函館高校)を卒業後から10年間過ごした埼玉県を例にとってお話いたします。
埼玉県は、実施した施策の検証を、各担当部長や担当課長から毎年度ごとに必ず聴取をおこない、結果を公表しています。
そのデータの可視化によって、達成度が明瞭になるせいか、各担当部署とも結果を誠実に追い求め、そして、実際に実績を上げています。
家屋購入の補助制度を設ければ家の購入とともに不動産、建築業の業績が増加し、企業の誘致を進めれば確実に企業が増えているのです。
交通事故対策を実施すれば交通事故発生件数が、そして、防犯対策を施せば犯罪発生件数が確実に年々減っているのです。
要するに、検証によって進捗状況を追うことで、目標への進展を遂げ、確実に街の発展につなげているのです。
前進のために
何をやったか という、予算を使い切るための 事業数の勝負 ではありません。
市民が汗水流して懸命に作りだした街の運営資金。
それを、いかに少ない予算で、いかに高い効率を上げるかが勝負になります。
実施策は、検証をおこなって初めて前進するのです。